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グラナダ版ホームズ『瀕死の探偵』とその他についての備忘録

少し前にコナン・ドイルの『瀕死の探偵』の原文を訳したので(『The Adventure of the Dying Detective』の全文翻訳はこちらです)、グラナダ版のドラマについても書きたいと思っていたのですが、他にもいろいろと書きたい細々としたことがあるで、まとめて備忘録的な記事を作ってみました。

 

1.グラナダ版後期(1992年以降)について
2.『犯人は二人』の中の台詞について
3.『瀕死の探偵』の魅力について

(長い記事になってしまったので、この目次からそれぞれの位置にリンクしておきました。読みたいところから読んでください。ブラウザバックで戻ることができます。)

注意事項ですが、この記事はグラナダ版と原作両方のいくつかの物語のネタバレを少し含みます。この記事はネタバレしても大丈夫な方向けの記事です。

 

1.グラナダ版後期(1992年以降)について


グラナダ版ホームズのドラマを順番に観ていくと、1992年の二時間ドラマシリーズ以降、主演のジェレミー・ブレットさんの体型が変わって、顔立ちも病気を思わせるようになります。
ジェレミーさんが躁鬱病で闘病していたのはよく知られていますが、体型についても処方薬が持病の心臓病の薬とともに副作用してしまうためでした。
ドラマを観ている側としては、外見や演技に変化があっても病気なら当然のことですし、むしろ病気なのにドラマを作ってくれて本当に感謝しています。

でも、じつは、1994年4月の映像("Jeremy Brett at 10th anniversary party for the SH series")が動画サイトに投稿されているのですが、そこにはとても元気そうで痩せている、ジェレミーさんが映っているのですよね。
これは、グラナダTVが『シャーロック・ホームズの冒険』の放送から10周年を記念したパーティでの様子なのだそうです。1994年4月といえば、グラナダ版ドラマの最後のシリーズである「The Memoirs of Sherlock Holmes」の撮影後から数ヶ月経ち、ちょうどテレビ放送が終了した時期です。
この頃はすでに病気によって、ジェレミーさんもホームズ役をすることはもうないだろうと思っているようですし、元気そうに見えても実際は違うのかもしれません。演じるプレッシャーがなくなったということもあると思います。ただ、あまりに外見がドラマの時と違うので、本当にドラマの撮影時は具合が悪かったのだろうと思いました。

そして、もう一つ注目すべき点が、グラナダTV版ドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』を企画し、半分以上の作品の制作プロデューサーであったマイケル・コックスさんがこのパーティに招待されていないことです。
ジェレミーさんや初代ワトソン役のデヴィッド・バークさんを起用し、資金やスタッフを集め、あのセットを作りドラマをスタートさせ、このドラマを成功させた一番の功労者なのにも関わらずです。それに、バークさんも初期のスタッフやデザインチームもこのパーティーには姿を見せていません。
この動画のキャプションに、マイケル・コックスさんの書いた本(“A Study in Celluloid”)からの引用でそのことが載っていました。

このことを知って私はとても驚きました。1991年の第5シリーズ「The Casebook of Sherlock Holmes」までプロデューサーだった人(途中で抜けている時期もあります)を、10周年パーティー(しかも、最終回になるであろう作品の放送後のパーティ)に招待しないというのはどういうことなのでしょうね。そのキャプションの引用には、1992年にグラナダTVの経営陣が変わってしまったとあります。こんな節目のパーティーに初期の関係者を呼ばないというのは、何となく独善的で拝金主義なやり方に思えてきます。1992年以前と以後では、制作側で根本的な何かが変わってしまったのかもしれないと感じてしまいます。
1992年からの二時間ドラマ3本と第6シリーズ「The Memoirs of Sherlock Holmes」は、映像は映画のように華やかで美しかったりするのですが、脚本は賛否両論ありそうなものも多いです。経営陣の交代とドラマの変化は関係しているのではないかと勘ぐってしまいます。

何れにしても、グラナダTVとマイケル・コックスさんの間に何か確執があったのではないかと推測できますし、10周年のパーティーにマイケル・コックスさんやバークさんがいないことに、ジェレミーさんはショックを受けたのではないかということも想像してしまいます。なんとなく、こういうのはジェレミーさんの体調にも良くなさそうですよね。
いろんな事情があるにしても、グラナダTVはジェレミーさんの体調がもう少し回復してから「The Memoirs of Sherlock Holmes」を撮影してあげれば良かったのにと思いますし、せめて10周年パーティーでスタッフ全員を招待してあげれば良かったのにと思ってしまいます。
当時のグラナダTVの経営陣に対する愚痴みたいになってしまいましたが、ちょっと書いておきたかったのでした。

 

2.『犯人は二人』の中の台詞について

さて、その1992年以降の作品についてなのですが、私がとても違和感を感じてしまった日本語に訳された台詞があるので、それについても書きたいと思います。
それは『犯人は二人』の中のホームズの台詞です。ホームズが恐喝王ミルヴァートンの屋敷の情報を得るために、屋敷のメイドのアギーと婚約したことをワトソンに報告するシーンです。
上の英語がオリジナルの音声、下の日本語が吹き替えの音声(字幕もほぼ同じ)です。ホームズとワトソンが交互に話しています。

Watson, you'll be interested to hear that I'm engaged to be married.
ワトソン、僕が婚約したと言ったら驚くだろうな。
Oh, yeah. I will.
本当かね、そりゃ結構。
To theorize Milverton's housemaid.
相手はミルバートンのメイドだ。
Good heavens.
ん? おやおや。
I needed information.
情報を取るためだよ。
Surely you've gone to far.
だがちょっと行き過ぎだな。
It was necessary step. I've walked with her, talked with her. Heavens knows talks.
どうしても必要だったのだ。毎晩彼女と散歩をし、話し合ったよ。とんだメロドラマだ。
But the girl?
でも可哀想だよ。
Can't help it Watson. One must play one's cards as best  one can when such a stake is one the table. However, I rejoice to tell you that I have a hated rival that will cut me out the moment my back is turned.
仕方なかったのさ。掛け金が高い時は手持ちのカードを最大限に利用するしかない。今相手にしている敵は侮れんからな、背中を見せたら最後、切られるぞ。

この最後の部分(However, I rejoice to tell you that I have a hated rival that will cut me out the moment my back is turned.)なのですが、翻訳がもとの台詞から別の意味に変更されてしまっているのです。

ホームズのこの台詞は原作でもほぼ同じ(However, I rejoice to say that I have a hated rival, who will certainly cut me out the instant that my back is turned. )で、この場面での台詞です。
英文を直訳すると「しかし、僕が背を向けた瞬間に、僕を切り取ってくれる憎たらしいライバルがいることを君に教えることができて、僕は大喜びだ」となります。つまり、このライバルとはミルヴァートンではなく、アギーを好きなもう一人の使用人の若い男のことです。
それを“a hated rival ”と表現することで、「可愛いアギーを奪う憎たらしいライバル」というニュアンスを出しています。アギーはただ利用された可哀想な女の子なのではなく、魅力のある子なんだという意味合いが出てきます。
そして、“cut me out”で、彼女の思い出から僕を消し去ってくれるというホームズの予想が表現されています。彼女から自分との記憶を一瞬で消し去ってしまうであろう、あの男がちょっと憎たらしい、という意味の含まれた台詞です。
ホームズとしては「自分が婚約までしておいて彼女に背を向けたとしても、すぐにあの男がアギーを慰めて次の恋人になるだろうから、少しは罪悪感が薄れる」という言い訳なのです。ジェレミーさんの声もその意味で安堵しているニュアンスの声に聞こえます。
これを、この日本語の音声と字幕にしてしまうと、ここでのホームズのキャラがとても冷酷な感じになってしまう気がしませんか?
ホームズとジェレミーさんの名誉(?)のために、これも書いておきたかったのです。(ただ、この部分は声優さんの声が変わっているので、日本での放送時はカットされていた台詞だと思います。)

 

3.『瀕死の探偵』の魅力について

私は第6シリーズの「The Memoirs of Sherlock Holmes」の中では、わりとこの『瀕死の探偵』の回は好きな回です。
ジェレミーさんがこの撮影のあとのパーティーで、躁鬱病の発作を起こしてしまったという話は知っているのですが、体調不良の中、こんなにすごい演技をして疲れてしまったからなのかなあと思っています。
それだけ大変な思いで作られているので、余計にこの回は多くの人に観てもらいたいと思います。そんな意味でも『瀕死の探偵』の回の魅力あるシーンについて、いくつか書いてみたいと思います。

第6シリーズは、二時間ドラマシリーズの流れを汲んで、原作を脚色して物語をより複雑でシリアスにしています。
だから、どの作品もスリリングに話が展開して視聴者を惹きつけてくれるのですが、そのぶん悲劇が深刻になります。そうするとちょっと繰り返し観るのがつらくなったりもするのですよね。
ただし「The Memoirs of Sherlock Holmes」のシリーズは、そういうシリアスな部分とバランスを取るシーンも多いので、そこが魅力でもあります。
『瀕死の探偵』で言えば、子供たちとのシーンと、ハドソンさんのシーンです。

 

まず、三人の街の貧しい子供たちに仕事を頼むシーン。これは『四人の署名』の場面と同じです。原作でいうところの「THE BAKER STREET IRREGULARS」ですね。
ホームズが街の貧しい少年たちに小遣い稼ぎになる仕事を頼むのは、ホームズの貧しい子供たちへの優しさの現れでもあるので良いシーンです。ジェレミーさん演じるホームズも、子供たちに「靴はどうした」などと尋ねながら、可愛がっている様子が描かれています。
ちょっと年老いたホームズなら、こんな感じで少年たちに仕事を頼んだだろうなと思わせてくれます。

さらに、スミスに殺されたヴィクターと妻アデレードの子供たちも登場します。最後の場面で、この女の子とホームズが握手をするのも、とても素敵なシーンですね。


備忘録的に書いておくと、グラナダ版ホームズのドラマでは、初期の頃から子供たちとのちょっとしたシーンが良いアクセントを作っています。

『海軍条約事件』では、通りにいるいたずらっ子の子供たちをホームズが追い払います。
ギリシャ語通訳』では、通りで転けてしまった子供をホームズとワトソンで引っ張り起こします。このシーンが私はすごく好きなんですが、この子が転んだのは偶然の出来事なのでしょうか? すごく素敵なシーンです。
『最後の事件』でも、スイスの宿屋で子供たちがこっそりパンを盗んでいきます。
『プライオリスクール』では、当然ですが子供たちがたくさん登場します。
『もう一つの顔』では、ワトソンが子供の人形を見て微笑み、ホームズは夜中に起きてきた子供を見て微笑みます。時間差なのが凝っていますね。


それからハドソンさんのシーン。
原作では、ハドソンさんがホームズの病気に慌ててワトソンを訪ねるシーンから物語が始まるのですが、ドラマではそれまでの物語が描かれたあと、後半からそのシーンに入ります。
原作の初めに出てくる「the very worst tenant in London」という表現が、このドラマでは、最後にホームズが病気ではなかったことをワトソンとハドソンさんに説明する場面で出てきます。自分を騙してものすごく心配させたホームズに、ハドソンさんが怒って言う台詞になっています。
原作ではラストシーンにハドソンさんは出てきませんが、出てきていたとしたら、ホームズを心配したあまり、同じように怒っていたことでしょう。

ちなみに、次の『赤い輪』でも同じくハドソンさんが多めに登場します。ハドソンさんが依頼人を連れてきたり、カーテンを洗おうとしていたハドソンさんに、ホームズがお使いを頼んだりします。
私はドラマの中で、ホームズやワトソンやハドソンさんが日常を送っているシーンが好きなので、こういうシーンがあるとうれしいです。


そして、この『瀕死の探偵』の回でホームズと同じくらい演技がすごいのは、エドワード・ハードウィックさん演じるワトソンでもあります。
私は、ホームズを心配して221Bに入ってくる時のワトソンの一言目の「Holmes!」の声が、おお、と思うくらい良いと思います。
それから、スミスのところへ行くワトソンの演技も良いです。本気でスミスを連れて来なければ、と思っている必死さがリアルです。
そして何より大好きなシーンが、ワトソンがホームズに訳もわからず「隠れろ!」と言われるシーンです。

「Hide! Quick, if you love me!」
「Hide??」

このワトソンの「ハイド??」(隠れる??)という台詞が、ちょっとした喜劇のようにおかしみがあって、つい繰り返し観てしまいます。
もし日本語音声でしか観ていないという方がいましたら、ここだけでもオリジナルの英語音声で観てほしいシーンです。

 

原作の『瀕死の探偵』は、ワトソンが結婚して二年目に起きた物語として描かれているのですが、ドラマではもう少し年老いた二人の事件として描かれています。このドラマ版のホームズとワトソンの二人の関係性もなかなか素敵だと思います。

ホームズがワトソンを騙すために

「You're only a general practitioner with mediocre qualifications.」(君は平凡な技能を持った開業医に過ぎない)

と言った時も、すべてが解決してホームズが病気ではなかったことを明かし

「Do you imagine that I have no respect for your medical talents?」(君は僕が君の医者としての才能に何の敬意も払っていないと思っているのか?)

と言った時も、ワトソンがそこまで驚いていない感じが、原作よりももっと年季の入った、すでに強く信頼し合っている二人の関係を感じさせて、面白いです。

 

ちなみに、この『瀕死の探偵』の回の日本語吹き替え版もかなり良いです。ホームズ役の露口茂さんもワトソン役の福田豊土さんも、本当にすごいと思います。
この回に限らないのですが、映像での口の動きと台詞がぴったり合っていて、声での演技もオリジナル音声に負けていません。
今回は、ホームズの病気の声もすごいですし、ホームズを本気で心配するワトソンの声もすごいです。

私が良いなと思う、福田豊土さん演じるワトソンのシーンは「駄目だ、側に来るな! 私は伝染病なんだぞ!」というホームズの台詞のあとの

「そんなことで私が引き下がると思うのか」(Do you think such a consideration weight with me?)

という台詞です。これは原作でのワトソンのニュアンスを日本語で上手く表していて、すごく良いと思います。
ホームズにスミスを連れて来てくれ、と頼まれたあとのワトソンの声も素敵です。病気のホームズを安心させようとするワトソンの、オリジナル音声よりとても優しい声が響きます。

それと、ラスト近くのシーン。ハドソンさんがホームズに「あなたはロンドンいち、たちの悪い間借り人です!」(Mr. Holmes, you are the very worst tenant in London!)と言って怒って出ていったあと、吹き替え版にはそんな二人を見て笑う、ワトソンの楽しい笑い声が入っています。英語のオリジナル音声にはこの笑い声は入っていません。日本語吹き替え版だけの優しさを感じてしまいます。


以上が、『瀕死の探偵』の回について書いておきたかったことでした。
ジェレミーさんの演技はもう説明するまでもないすごさなのですが、ワトソン役のエドワード・ハードウィックさんや日本語音声の露口茂さんや福田豊土さんの演技も素晴らしい回になっています。

もし、興味を持ってくださった方がいましたら、『瀕死の探偵』の回も観直してみてください。(おわりです)